御母衣湖レイクフィッシングスクールの投稿ネタが続いているので、ここで一旦箸休め。
今回は私がハンドメイドルアーの世界に飛び込むきっかけになったHOT SHOTとRaytuneとの出会いについて書いてみたいと思います。
その前に改めて自己紹介
私は平成元年9月生まれの現在33歳。ハンドメイドを初めて13年ほど。
魚釣りを始めたのは3歳、ルアーフィッシングを始めたのが小学1年生(6歳)の時でした。
初めてルアーを作ったのが小学3年生。
父親が「ハンドメイドルアーの世界」という雑誌を読みながらハンドメイドに凝っていた時期が少しあって
見様見真似で1号機を作ったのが小学3年生でした。そのルアーでイワナを釣ったことは今でもよく覚えています。
そこからはあまりハンドメイドに関わることはありませんでしたが2009年に再びハンドメイドルアーとの出会いが訪れます。
それが2009年9月発行の釣り雑誌「鱒の森」に掲載された私の師にあたるRaytune(レイチューン)の上原徹也氏と、その上原氏のさらに師匠にあたるHOT SHOT(ホットショット)の故松本功氏の記事でした。
20人ほど紹介されたビルダーの中で最初のページと最後のページを飾っていたRaytuneとHOT SHOT。
圧倒的な細部の作り込みと、透明感。
細く、シャープで、滑らかな曲線が描く造形美。
他のルアーとは違う、何か女性的な美しささえ感じるこのルアーを松本功さんという男性が作っているというではありませんか。
この雑誌が出た当時にはすでに松本功さんは故人となられていましたが、もう一目で悩殺されて雑誌を見ながら息をのんだのを覚えています。
そうしたらもう頭の中がルアーでいっぱいになって、気付いたら何度も何度も読み返していました。
もう何かに夢中になってしまうと止まらなくなるタイプの私なので、(もはや脳の欠陥と言えるレベルで)
私の脳内にあるブレーキを一瞬で破壊していったHOT SHOTとRaytune。
これが当時19歳の私が再びルアーを作り出すきっかけになったわけです。
気付いたら昔、父親が使っていたコンプレッサーを実家から持ってきて、机の上はルアーを作る材料で散らかっている。そんな部屋になっていました。
当時は学生だったのでアパートで暮らしながら、屋外で塗装したりして作っていましたから、今では工房もかなり快適になりました。
ルアーを作っていて師以外にも良き出会いがありました。
それが静岡県でLANDNER(ランドナー)を作っていた大石惣一との出会い。
私と同じく、HOT SHOT、Raytuneの虜になった同じ感性をもつ仲間。
今彼はスキューバダイビングの仕事が忙しくてルアーをつくる時間が無いのだけど、
互いに切磋琢磨してきた大親友。
たぶんこのブログを読んでいればそのうち大石君は出てくるので紹介はその時にしましょう。
今日はこんなところで!
たまにはハンドメイドの投稿もいいですね!(というかそれがメインであるべきか…笑)
また製作の合間を縫ってちょっとずつ投稿していこうと思います。終わり!
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